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前記事の続き・・。皆が当事者(前編)

の続きです。
調査結果を見れば見るほど、
思う所があり追加で書きました。



学習支援・・そもそも大学って「しない所」て前提が崩れてます。

正直、小中高と「支援支援」できてるので、
大学でもそれを求める傾向があると思います。

しかし、義務教育以上は「自分でやれ」です。
特に私立大学が「定員が多い」ので
(あ、自分は私立文系ですから、実感してます。)
各大学クラス担任制っぽいことやったり、
工夫してると思います。

実際、自分が在学した京都産業大学外国語学部
は一年次は専門科目で担任制っぽくやってた
ので、確かに、心理的安定が図られていた
気がします。地方から学生を集めていた大学
らしい工夫だったと思います。

ただ、じゃ、経済学部や経営学部は?って
思うと当時の感覚では「放任」だった
気がしますが、それが「デフォルト設定」です。
なぜか?

なぜ大学は自ら学ぶ場所なのか?

大学というところは「学問」つまり
自分が学びたいと思って入ってる前提なので、
そこに入学さえすれば何かしらができる
ように仕立ててくれる場所ではない
という認識は広まっていない気がします。

(これは夜間定時制で専門学校に行く生徒とマインドが
 似てた気がします。専門学校は技術を学びに行く
 ところです。
 しかし、前記事のジョブ型大学以外は基本的に
 「自分で学ぶ、自分で問う」場所なんです。)

なので、正直、この話を「大学でされましても・・」
というのが大学の立場なんじゃないかな、と思います。

昔は多分大学入って、異変に気づき、
「あ、そういう場所じゃないのね」と
大人の対応をしてたんだと思うんですけど、
今は「違う・違う・そうじゃない〜♪」となります。

ただ、手取り足取り学生の相手をしてたら
教授も自分の研究できないです。

サービスの提供者と受け手のギャップ

大学ってそもそも「研究機関」です。
だから学生は基本自分で自分の面倒を見ろ
というスタンス。
で、なんか質問あったら聞いてね。
ってことですよ。

ただ高校生自身がそういうマインドを作って
大学進学してるかといえば、
受験指導、懇切丁寧にします、、、
進学型高校の生徒募集でのウリ文句になりがち
なので、サービスの受け手と提供者の間の
意識のギャップに繋がる
のだろうな、と。
その裏付けが・・

なんとなく、はわかるんですが2も結構深刻。

外的動機付けの時代は終わりつつある

「社会で役に立ちそう」これは要するに、
食い扶持を稼ぐために、一定の人生の時間を切り売り
するに一番効率が良い職業はどれか?という観点で
考えてる気がします。(高い給料、ってことは、
最近の言葉で言えばFIREシタイってことですよね?)

仕事ってそういうものだろーっていう人もいる
と思います。特に昭和、平成前期に就職した人は
そういう感覚だと思います。(自分も理解できます)

正直それで続けられたのは「人口増」局面
つまり「人口ボーナス期」にあった日本だから
「いくらでも替えが利く」プレッシャーに
常に晒されていた時代でした。
アジアは今これです。
経済で抜かれるわけです。
相手は「24時間戦えますか!?」ですから。

が、今の日本は、それに耐えても
得られるものは限られてるわけです。
なのでどこかでぷっつり切れます。
(戦国大名が、与える戦績に対して
 与える褒美があげる土地がなくなった
 他に与えるものがないみたいなものですが、
 戦国時代ってどうしたんでしたっけ?)

外的モチベーションから内的モチベーションへ

また、今までは言われていることを淡々と
こなして60定年になるまで続ければ
とりあえず老後は安泰だったんですが、

1)終身雇用の崩壊
→雇用の流動性を高めるってそういうこと

2)定年延長・再雇用・平均余命の伸張
→死ぬまで働くピンピンコロリ
→異世代から(ようは若い人から)ずっと学ぶ
→常に知識のアップデート

そういう時代には「外的動機付けより内的動機付け」
とはDaniel H Pinkが"Drive!"で指摘した通りだと思います。

DanがこれをTEDで発表したのがもう14年も前・・・
先見の明が凄すぎる。いつも思うけど。
(ちなみに、僕はDanと話したことがあります。Joi Itoさんと
 言葉を交わしたことがある、のと同じぐらい誇らしい
 自分の人生中に起きた出来事の一つです。)


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