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「楽しいと思える心」を育てるのが先か「楽しいと思わせるスキル」が先か・・。

昨日は実家の用事で3時間ほど待ち時間があったのでリハックさんの「野村泰紀先生の物理授業最終講義」をみてました。この方の物理の概論を聞いてるとうずうずします。もうちょっと解像度上げたいな、と。そこで大関真之先生の大学生向け物理講座とか見るといいんじゃないでしょうか。

野村先生の物理学大全ともいうべきシリーズ

そして、大関真之先生のこちら

さて、野村先生の最終講義と題したこの動画、「時間ってあるの?」っていうお話もすごく面白いのと大関先生の話でよく出てくるけど謎のキーワード「エントロピー」(なんかポケモンの技っぽい)の理解も少しできたかな、と。

この動画の中で「logってこのためにある!」って話もあって個人的には「やっぱり物理と数学ってある程度バランスよくやった方が良くないんですかねぇ?対数って結局何に使うのか説明受けたっけ?マグニチュードがどうたらこうたら・・言うてた気もするけど。」はい、高校までの理解はこの程度でした。(そして40代になっても変わりませんでしたね、だって使わないし、出会わないもの、対数、実生活で。)

ただ、物理のお話を順番に積みかさねで聞いていくと、「あー、このことがこう繋がって、その時に研究者はこんなことにつまづいたり、こんなことを考えてたからこんなことを発見できたのね」ってことがだんだん分かってくるんですよね。理系の授業にはそう言うストーリーってあんまりないですよね。

そう言う意味ではこのアニメは「今こそ見ておくべきアニメ」かもしれませんね。神学とかリベラルアーツがいかに「神の意志を知るための学問」だったのかが良く分かるとともに、深くしれば知るほど「これはおかしいぞ」という核心に迫りつつ、社会の常識を覆すことの困難と探究心の破壊力(=イノベーション)をまざまざと見せつけられるアニメです。

ちょっと話がずれましたけど、冒頭紹介したホストの高橋さんと野村さんとのエンディングトークで、野村さんが「なんで物理学者になったのか?」と言う話で、長期休業で受験にでない物理学の話を面白く「出席自由来たい人だけ来て」って言う授業を受験期の3年生もやってたそうです。右近先生という方(多分この先生かなぁ・・) だそうです。ご著書も出されてるすごい先生に習われたのですね。出会いって大事だ・・。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpsgaiyog/48.4/0/48.4_245/_pdf/-char/ja

右近先生の授業からハマっていった・・もちろん大学での先生方の影響もあった、とも付言されてました。

そう言う意味で大学というところは「そういったある特定の分野に興味が集まった人たちの、知的な遊び場」であるにも関わらず、ある種、学歴を付与してもらって就職戦線で有利に立つための場になったのがバブル期以降。そろそろその路線も考えないと研究というもの自体が停滞するのも分かる気がするんですよね。

本当にやりたいことをやりにきた、という人と「なんか特になりそうだから(そうxxに聞いてきたので)」という動機で集まってくる学生が優秀な研究者になって未知の分野の探索に繋がっていくのかなぁ・・という気がして「探究って大事なんだよなぁ」と改めて思った次第。優秀で効率よくそつなく好きでもなくてもこなせる人、なら「特になりそうな分野に」というのもある種成功できるかもしれないけど、どうなんでしょうね。

本当に好きなことなら別に8時間労働じゃなくてもいいって人は結構いると思います。好きなこととか「自分の命を使って成し遂げたいことがある人(それを使命っていうんだよね)」それと出会えた人を探してるんだろうけど、今の日本の教育システムでそういった学生を育てるようになってるのか?ってのは僕らが考えるべきか分からないけど、できるところから、ってなら探究が突破口になる予感はします。

また、「面白いって感じられるようになる」ってのもタイミング次第だったり「誰・何と出会ってきたか」次第な気がします。そうすると学校レベルで「学校の学習カリキュラムを、こうしたから、面白いと思えるようになる」というものでもない気がします。高橋さん・野村先生も指摘してますがそういう意味で「高校段階まできたら、体験格差って覆せるのか?」とも思います。できるだけそういうカリキュラムとか企画も入れていこうとうちの学校は進路部も探究部もやってますけど、小さい頃からの親子の対話、大事な気がしますね・・・(それ言い過ぎると責任転嫁になるから言わないですが、自分の子育てに対しての自戒の念、としておきます。)

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