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教科における「探究」を考えてみる。

「総合的な探究の時間」に関わってまる6年。
現行課程スタートに向けた準備段階から・・
もう6年になります。

前任校、加茂高校定時制からすると10年
ぐらいになります。

ただ、加茂高校定時制の時は外国籍の子たちと
「一緒にやろうぜー!」って感じで
生徒と一緒に自分の探究をやってた
部分もあり、総合学習の域を出てなかった
かもしれません。
(自分で問いを発見するってより、
自分が引っ張ってた部分があるので。
ただ「生徒が自分自身の問いを
見つけるまで何もしないのもなぁ」
とも思いますし、ここって「バランス」
が大事、かもしれません。)

つまり、総合学習のように大人が課題
与えて生徒が一生懸命そのソリューションを
考えるってのは初期段階の探究学習でも
あり得ることで。
「そこまで下に見ることはない」
(目線さえ下げなければ)
と思ってます。
(何もやらないよりマシだし。)

そんなスタンスなので、
去年視察に来ていただいた二つの
学校の方々には本当に、
「こんな緩い感じですみませんー」
なのです。

いわゆる「等身大の探究」を
見ていただいています。
(どこかのついでに来ていただいてるので
 ホッと安心するのですが・・
 視察は全然構わないのですが、
 すごいことはしてないので、本当に。
 期待して来られるのも、いつも、
 気後れします、はい。すごい探究活動を
 やってる学校を自分は目指してないので・・)

さてさて、表題の話ですが、今年の本校の
職員研修でも「教科における探究的な学び」
についてでした。正直、多分、指導主事を
今されてる方々も「こうである」とは、
言いにくいんじゃないでしょうか。

だって、現場でそういう指導をされてきた、
いや、教育課程に関係なく必要だと思って
教科の中で探究「的な」エッセンスを
入れてらっしゃった方や、進学校以外で
大学受験が学習者のモチベーションに
ならない・なりにくい学校で教えられた
経験がある方はいろいろ知見を
共有されてると思います。

ただ、多くの進学型普通科高校では
どうしても学習動機を引き出す言葉が
「いいか、大学入試の問題で出るぞ、覚えろ!」
という魔法の言葉に依存しがちです。

ただ、進学校以外ではこの言葉が通用しないです。
「だって大学行かねーもん」と言われたらおしまい。
そうなると「単位がでないぞ」うんぬん、つまり、
権力・権威で動かすしか、手段が無くなります。

当然そんな教室は楽しいわけもなく、
力もつかないわけです。自分は商業高校、
家政科を要する普通科並立校、
そして初任で商業高校、先ほどの外国籍生徒が
最大8割越えした夜間定時制高校で英語を
教えたのちに今の進学校に来てます。

なので、「大学受験指導」は素人からの出発でした。
ただ、「英語は英語だな」と思う部分と
本当に、「大学入試ならでは」の考え方や
方法論があり、点を取らせるための指導と、
そもそも英語ができるための訓練は
ずれてることが多いと感じています。
(英文和訳はそれに当てはまる気がします。
 だって、社会に出たら使いそうにない日本語を
 英語にすることが多いし、なんなら大人でも
 DeepLとか今なら生成AI使ってドラフト書かせて
 最終チェックをする、なんてことになってる
 わけですから。むしろ、どうAIに指示して
 自分の望む出力結果を出させるか、苦労してる
 わけです。時代によって求められる力も
 変わって、英語科はモロ、その影響受けます
 から・・)

英語科の目標は、
コミュニケーション能力の向上、
これしかないのですよね。

つまり、
書かれた文を書いた筆者の意図を読み取ること

自分の思考の中にあるものを言語化して表出すること
その基底部分におそらくは
自分が考えたことを他者に理解してもらうために
整える思考力(メタ認知)
が必要だと思います。
つまり「考え方」の部分。
英語だと論理的思考でしょうか。
他人が発した音声から相手の意図を理解する力。
書く力は論理的思考力をどう言語化して書けるか。

一文レベルでは基礎文法。
複文レベルは文と文の関係を接続詞で表現できるか。
パラグラフレベルでは主張・理由・根拠の3点セット
そしてCoherence とCohesion。
複数のパラグラフはパラグラフ単位で
主張、理由、根拠の展開ができること。
それを支えるための語彙、表現、文法事項、お作法
なのだと思います。

大学入試では「支える部品に対する知識の有無」を
中心に問うので、最終的にできて欲しい
ライティングで言えば、
1パラグラフを書く英語力を身につけさせる、
と言う目標にも到達できず大学に進学する。

なぜそうなるんでしょう?
大学入試の形式の多くはリーディング。
なので、長文読解が多くついで4択文法問題集。
で、空いた時間にリスニング問題集・・。

こんな感じになると思うんですが、
それを統合して何ができるようになってほしいか?
探究で言うところの「理想状態」が全くイメージ
できないんですよね。

でも、英検とかやってればわかると思うんですが、
段階的に
半径3mの身の回りのこと(3級)から
社会のこと柄について関心を持つ、知ってる(2級)
社会のこと柄について意見を持ち表現できる(準1)
と内容にそって使われる語彙や表現、表現形式の
バリエーションが広がっていくようなカリキュラムと
大学入試問題をひたすら解いてるのとでは、
辿り着くゴールはかなりズレるだろうと思います。

とはいえ、一高校の英語教育は1教員の思想でどうなる
というものではないので、基本的には横に倣え、に
なります。そんな中でちょっとした抵抗を試みてるので
少し、共有していければと思います。

昨日は、システム英単語の単語テストがありました。
で、いつもは語彙について派生語や関係するような
表現などを紹介したり発音をYouglishで確認したりします。
Youglishdは I've got to go.のリアルな発音を聞いてもらい
生徒の顔が青ざめる様を眺めてみました。

ガラゴゥ  に驚愕しますよ、きっと。

こうして「魚の取り方」を教えていく必要はありそうです。
(こんなサイトがあるよーでは多分ダメで、気になる発音
 今調べて隣と共有してみよう、を2、3回やる必要がある
 と思います。ICT活用の方法としても使えると思います。)

で、システム英単語の小テストに絡んで問を発しました。
小テストにDistrictが出てきたので

「Washington D.C.のDはDistrictなんだけど Cはなんやろーね?」

岐阜県ではもっとこの「なんやろーね?」をはやらせたい。
ね、岐阜県美術館の日比野館長さん!!ってことで。

でも、このナンヤローネ?が探究で重要だと思ってます。
そして、今の高校ではこの素朴な問を発しにくい環境が
常態化してるんじゃないでしょうか。
予習して準備万端を望むが故に、塾で正解を聞いてくる。
ネットで正解を拾ってくる。メルカリで学校専売品の
解答冊子を買う・・・。なんか違いません?っって。
予習は「自分が何が分かって分らないかを腑分けする作業」
であって、完璧にしてくることじゃない。自学で完璧に
なるなら学校で授業する必要がないわけで。
そういう意味では、反転授業も「なんやろーね?」を
奪う可能性は留意したいです。

で、Cがof Columbiaだと辞書引けばわかるんですが、
畳み掛けて
「なんで、アメリカの首都だけ、D Cってつくんだろうね?」
ってぼやいてみる。すると、Wikipediaなどで歴史的経緯を
調べることができる。電子辞書にもエンサイクロペディアが
あるからそこでも調べられる。
「自分がふと思った疑問を手元でさっと調べる武器を持ってる
ことに気がついていない」ここが個人的には教科における
探究的な学びのキモなんじゃないかな、と思ってます。
(いろいろ議論したいところです。)

実際、英語科はいろんな科目の内容を扱うので、
こういった問を持つ力を育てていくことが
教科横断型授業する上でも必要な視点だと思ってて
この視点を育てずにいくら教科横断型を形式的に
追っても意味がないんじゃないかな、と思ってます。
(それこそ試験のための学びになる危険が・・)

ただ、教員も授業中暇じゃないというか余裕がないので
あれもこれもはできない。ということで、僕自身が問を
ぼやいて「この感覚伝わらんかなぁ・・・」と試行錯誤
してます。また、実践したことがあれば書いてみたいと
思います。